「薬の卸」大手・東邦HDがスタートアップ投資で挑む、ドラッグラグ・ロスという医療構造課題

日本の医療課題に対し、医薬品卸CVCの「TOHO Ventures」がどう貢献しうるのか、グローバル・ブレインのライフサイエンス専門キャピタリストが考察します。

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【Summary】

  • ドラッグラグ・ロスは日本の医療制度の特性とも関係する「構造的な課題」

  • 東邦HDのCVCはスタートアップの実務的な課題を解決するパートナー

  • 「卸CVCモデル」が成功すれば、世界のドラッグラグ・ロス解消に貢献しうる

国内最大級の独立系VCであるグローバル・ブレイン(GB)のロンドンオフィスから、世界のライフサイエンス領域へ投資を行っている髙井です。東京大学大学院で博士号を取得後、米国でのがん研究やイーライリリー社での研究開発・投資事業に従事してきました。

世界各地で生まれる革新的な医療技術や新薬候補に日々触れる中で、強く意識せざるを得ないのが、日本の医薬品業界が抱える「ドラッグラグ・ロスの問題です。

「ドラッグラグ」とは、国外で承認・販売された薬が、自国で発売されるまでに時間差が生じることを指します。「ドラッグロス」は、国外では承認されて利用可能であるにもかかわらず、自国では企業が開発・承認申請を行わない結果、患者さんがその薬を利用できない状態を指します。

これは単なる産業政策上の課題にとどまらず、有効な治療法を待ち望む患者さんにとっては切実な命に関わる問題でもあります。日本に限らず、医薬品の承認・流通に地域差が生じる問題は世界各国で議論されています。

本記事では、このドラッグラグ・ロスを単なる規制の問題ではなく、医薬品エコシステム全体に関わる構造課題として捉えます。またその解決に向けた1つのアプローチとして、医薬品卸大手の東邦ホールディングス株式会社(東邦HD)とGBが共同で設立したCVC「TOHO Ventures」を紹介します。製薬企業ではなく、流通を担う医薬品卸がなぜスタートアップ投資に取り組むのか。そしてそれがどのようにドラッグラグ・ロスの緩和に寄与しうるのか。その意義と可能性を考察します。

ドラッグラグ・ロスの解消が難しい理由

これまでも日本の規制当局は、ドラッグラグ・ロスの問題に対し、制度面でさまざまな対応を進めてきました。たとえば「先駆的医薬品等指定制度のような審査制度の改善・運用改革が進められた結果、日本での新薬の審査期間そのものは国際水準に近づきつつあります。しかしながら、承認時期の差や、日本市場への参入が見送られる事例が完全に解消されたわけではありません。

その背景には、審査期間の問題だけでは説明しきれない、医薬品エコシステム全体に関わる構造的なハードルが存在しています。下図にその主な要素を整理します。

1.臨床データの壁

海外のバイオスタートアップや製薬企業が日本で開発・承認申請を行う場合、安全性や有効性の観点から、日本人集団を対象としたデータの追加的な検討や補完が求められる場合があります。近年は国際的なルール整備が進み、海外で取得した臨床データを活用できるケースも増えていますが、それでもなお一定の対応が必要となる場合があるのも事実です。リソースが限られるスタートアップにとって、日本市場のために追加の時間やコストを投じることは、慎重な経営判断を要する要素となります。

2.参入障壁

日本には全国に広がる医療機関ネットワークや、精緻に設計された医薬品流通体制、そして公的医療保険制度に基づく薬価制度が存在します。こうした制度は、国民皆保険のもとで安全かつ公平な医療アクセスを実現する重要な基盤です。

一方で、日本国外の企業にとっては、これらの制度や実務プロセスを十分に理解し、自社製品を適切に展開する体制を構築するまでに一定の時間とリソースを要する場合があります。

その結果、制度の安全性や公平性を維持しながら、革新的な医薬品を迅速に患者さんへ届けることとの間には、構造的な難しさが生じます。

3.連携構造の壁

国内ではこれまでも、ドラッグラグ・ロスの是正に向けたさまざまな取り組みが進められてきました。星薬科大学の分析では、「日本企業が欧米の新興企業とより早期かつグローバル規模でパートナーシップを構築」する重要性が指摘されています。実際に、大手製薬企業によるスタートアップ投資やCVC活動も活発化しています。

一方で、製薬企業のCVCは、自社の開発戦略との整合性を重視するという特性があります。自社が注力している疾患領域や技術領域とのシナジーを重視することは当然の経営判断でもありますが、その結果として、注力領域外に位置づけられる技術や疾患領域のスタートアップとは、初期的な接点は生まれても、具体的な連携や投資に向けた議論が十分に深まりにくいケースもあります。

こうした構造の中で、日本市場との接続機会を十分に持てない革新的な技術が存在します。それらをどのように日本の医薬品エコシステムに取り込み、患者さんの治療選択肢へとつなげていくか。この課題に「医薬品卸という立場からアプローチしようとしているのが東邦HDです。

「卸」の立場だから貢献できること

医薬品卸大手として知られる東邦HDは、全国の医療機関や調剤薬局の広範な取引ネットワークを有しています。近年では、希少疾患治療薬や再生医療等製品など、高度な管理体制を要する医薬品を取り扱う「スペシャリティ医薬品流通にも取り組んできました。スペシャリティ流通を担う専門子会社であるオーファントラストジャパン株式会社を擁している点も特徴の1つです。

さらに東邦HDは、CRO(Contract Research Organization:事業臨床試験や市販後の医薬品の臨床試験に関わる業務の代行受託・支援)企業との連携機能を通じて、治験や市販後調査などの臨床関連業務を支援しています。2025年7月には、帝人リジェネット株式会社や伊藤忠商事株式会社と連携し、再生医療等製品の開発から上市までを包括的に支援する体制構築を目指す取り組みも発表しました。こうした動きは、従来の医薬品卸の枠を超え、医薬品エコシステム全体への関与を広げるものといえます。

一方で、卸事業の特性上、開発初期段階の創薬企業と深く関わる機会は必ずしも多くありません。通常、卸事業者が本格的に関与するのは、製品が承認され、上市段階に近づいたタイミングです。そのため、日本国外で開発が進む新規医薬品や、まだ日本市場での展開可能性が検討段階にある企業との関係構築は、従来の商流の延長線上では限定的になりがちでした。

一方で、ドラッグラグ・ロスの緩和を目指すのであれば、開発のより早期の段階から、日本市場との接点を設計することが重要になります。初期段階から国内外の創薬企業と関係を築くことは、次の図のように、医薬品アクセスの改善だけでなく、東邦HDの中核である流通事業の中長期的な発展という観点からも戦略的意義を持ちます。

こうした背景のもと、より早期から先端技術を有する企業、特にスタートアップと関わる仕組みとして選択されたのが、CVC「TOHO Venturesです。

TOHO Venturesの特徴は、特定の疾患領域や自社パイプラインとの直接的なシナジーに限定されることなく、日本の医薬品市場全体を俯瞰しながら幅広いスタートアップと向き合える点にあります。その結果、経済合理性や戦略的優先順位の観点からこれまで日本市場への展開が進みにくかった領域でも、対話の機会を広げる可能性があります。

さらに、東邦HDが有する全国の医療機関・薬局との取引ネットワークは、開発された医薬品を実際に患者へ届ける最終段階で大きな役割を果たします。以下の図のように、スタートアップが持つ革新的な技術を、日本の医療現場へと接続する。この患者さんの元へ「届ける」機能こそが、卸CVCモデルの独自性です

東邦CVCが目指す「共創型」のアプローチ

TOHO Venturesが志向するのは、単なる資金提供にとどまらず、日本市場での実装を見据えた「共創型」の投資です。

投資対象は、欧米を中心とする日本国外のスタートアップを主軸としながら、日本の有望なスタートアップも含みます。特定の疾患領域や技術分野に限定せず、医薬品エコシステム全体を俯瞰した投資を実行予定です。

想定される協業や支援の形は多岐にわたります。たとえば、日本で実施される臨床試験への支援が挙げられます。東邦HDは、提携先との連携のもと、各段階の物流対応や、グループ会社を通じた治験施設支援に関わる体制を活かし、臨床試験の遂行に伴う実務面の円滑な運営を後押しし得る立場にあります。これにより、日本の制度や実務運用への理解を踏まえた対応を促し、手続きや業務の効率化を通じて、日本市場参入初期の不確実性の軽減につながることが期待されます。

また、承認取得後の段階では、「医療機関・薬局ネットワークを活かした流通支援も重要です。特に、厳格な温度管理やトレーサビリティが求められるバイオ医薬品や再生医療等製品については、前述したオーファントラストジャパン株式会社が担うスペシャリティ流通機能が強みとなります。

オーファントラストジャパン代表取締役社長であり、TOHO Venturesにも関与する中田 繁樹氏は同社公式サイトで以下のようにコメントしており、ドラッグラグ・ロス解消に向けて積極的に取り組むことを表明しています。

今後は、流通機能のみならず日本国内市場に新規参入する外資系製薬企業、国内で開発すらされていないドラッグラグ・ロス品目の上市を支援できる体制を進めていきます。

日本市場は規模や医療制度の安定性という点で魅力的である一方、制度や実務運用の理解には一定の時間を要します。資金支援に加えて、「どのように規制に対応するか」「どの医療機関と連携するか」「承認後にどのように全国に供給するか」といった実務的な選択肢を提示できるパートナーの存在は、日本参入を検討する企業にとって重要な要素となり得ます

こうした実装支援まで視野に入れた投資体制こそが、製薬会社でも純粋な財務投資家でもない、「医薬品卸」主導のCVCならではの独自性です。

世界の患者さんの命を救う新しいモデル

ドラッグラグ・ロスは、一朝一夕に解決できる課題ではありません。規制当局、製薬企業、アカデミア、流通事業者など、医薬品エコシステムを構成する各プレイヤーが、それぞれの立場から向き合っている構造的な問題です。

ドラッグラグ・ロスの多くはスペシャリティ医薬品であり、特徴として対象患者数が少なく、高薬価、冷所・冷凍管理などの条件が上げられ、効率的で高品質な物流体制が求められます。また、製薬企業での医薬品製造から始まり、卸企業を経て医療機関から患者さんまで届くまでの一貫したサプライチェーンの管理体制の構築も求められています。

その中で、東邦HDによるCVCの設立は「創る」側ではなく「届ける」側である卸企業が、開発のより早い段階から関与しようとする新たな試みといえます。製薬・バイオスタートアップが担う創薬機能と、卸企業が担う流通機能を早期から接続することで、日本市場への導入プロセスをあらかじめ設計していく。その発想自体が従来とは異なるアプローチです。

このモデルが有効に機能すれば、日本に十分に届いてこなかった医薬品が、より円滑に患者へ提供される可能性が広がります。また、卸主導のCVCという枠組みが一定の成果を示せば、医薬品アクセスの課題を抱える他国・他地域に対しても示唆を与える取り組みとなり得ます。

TOHO Venturesを運営者として支えるGBも、海外拠点ネットワークおよびライフサイエンス専門チームの知見を結集させて貢献してまいります。卸という強みを基盤にしたTOHO Venturesの挑戦に、ぜひご注目ください。

GBでは今後も「未踏社会の創造」というミッションのもと、スタートアップエコシステムの発展に資する活動と発信を継続してまいります。

(編集:GB Brand Communication Team)

コラボレーター

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髙井 弘基

グローバル・ブレイン株式会社

Partner

2022年にGBに参画し、ロンドンオフィスから世界のライフサイエンス投資を担当。Ph.D.およびMBAを保有。