実績ない中の資金調達から…上場したワンダープラネットの成長の裏で起きていたこと
ファイナンスを軸に上場の経緯をうかがいました。
執筆: Universe編集部
ワンダープラネットは、2012年に愛知県名古屋市を本社に創業。『クラッシュフィーバー』と『ジャンプチ ヒーローズ』を国内だけでなく海外でもヒットさせたゲームベンチャーと知られる。
そのワンダープラネットは、上場前に累計30億円以上の資金調達を経て、創業して9期目の2021年6月に東証マザーズに上場した。今回、ファイナンスを軸に経緯を伺おうと、同社取締役CFOの佐藤 彰紀氏と、主要株主の担当で元社外取締役としてサポートしてきたグローバル・ブレインGeneral Partnerの熊倉 次郎との対談インタビューを実施した。
佐藤 彰紀 氏 プロフィール
愛知県名古屋市出身。2008年大和総研(現大和証券)入社、2016年ワンダープラネット取締役CFO就任。Equity/IB両アナリストに従事した後、現任となり故郷に移住。コーポレート全般を担当し、同社の上場前累計30億円以上の資金調達、2021年の東証マザーズ上場を牽引。
熊倉 次郎 プロフィール
CSK(現SCSK)、デジタルデザインを経て、グローバル・ブレインに参画。ワンダープラネットには、2015年の出資と同時に社外取締役に就任(2021年上場申請に合わせ退任)。
——まずお二人の出会いや関係性についておうかがいさせてください
佐藤:私がワンダープラネットに入る前、2015年に主幹事候補の担当として提案内容を共有するために伺ったのが最初でした。就任後は私が証券アナリスト出身という特性を理解いただいて、未経験の上場前の資金調達やIPO準備を親身にサポートをしてくださいました。お忙しいはずなのですが、深夜でも土日でもすぐお返事をいただいたり、壁打ちに付き合ってくださったり、寄り添ったコミュニケーションに感謝しかありません。
——では、お二人が出会う数ヶ月前になりますが、グローバル・ブレインがワンダープラネットに出資した当時はどういう状況だったのでしょうか。
佐藤:2015年は代表タイトル『クラッシュフィーバー』をリリースした年で、出資いただいた時はそのリリース直前。会社は運営費や広告費確保のために資金調達に動いていました。当時は創業して3期目まで実績の無い会社で、リリース前のタイミングで出資を決められたのは大きな判断をしていただいたと思います。
熊倉:最初の印象は、過去に失敗の限りを尽くしてきていて、それを糧に、次にやることが明確になっている会社だと感じました。『クラッシュフィーバー』の開発費を上手く抑えながらも、リリースの準備は入念で、安心して投資検討できましたね。
ただ、当時、ゲームの事業会社は投資対象外となっていたため、そこを乗り越えることが最大の難関でした(笑。ファンドの出資者に丁寧に説明した記憶が残っています。
——出資にハードルがある中でそれだけ情熱を注げた理由は何だったんですか?
熊倉:経営陣の準備する資料などのレベルがとても高く、いずれ大きなプロジェクトを動かす会社になっていくと感じていました。
また、情報が非常にオープンでした。出資後に社外取締役に就任させていただきましたが、ソースコードやBIツールなど、何も隠されることなく見させていただいて、タイムリーに事業状況を知ることができました。今でも、これだけ情報開示するベンチャーは少ないと思っています。セキュリティもしっかりされた上で、すべてオープンに開示され、意見を求められるので、すごく話しやすかった印象があります。金融的なコミュニケーションに留まらなかったことが非常にありがたかったです。
——当時はまだ入社前、大和証券の佐藤さんという立場で『クラッシュフィーバー』の立ち上がりをどのように見ていましたか?
佐藤:『クラッシュフィーバー』は当時、生みの苦しみにありました。2015年7月のリリース時に想定を上回るユーザー数となったものの、直後にサーバートラブルを起こし、約1ヶ月に渡る長期メンテナンスを実施することに。メンテナンスが完了し、サービスを再開した後も運営改善に追われていました。
私がワンダープラネットを初めて訪問したのが、その真っ只中の2015年9月です。それから毎月のように訪問し、オフィスの雰囲気を見ていました。今でも鮮明に覚えているのが、社内の熱量がとにかくものすごかったことです。その年の12月にやっとKPIが良くなり始めましたが、その間も成果がなかなか見えない中、高い士気が維持されていました。アナリストとして定量的に全く説明できないんですが、何か成し遂げる時とはこういうものかと思わされるには十分な状況でした。名古屋の出身者として、この場に一緒に立ち合わないと一生後悔すると感じ、同じ頃に入社を決めました。
——熊倉さんから見た当時の雰囲気はどうですか?
熊倉:『クラッシュフィーバー』の運営改善が順調に進捗するところを見ていたので、安心はしていました。社内の雰囲気も10-11月にはこれで勝負できる、となっていた気がします。12月にKPIが良くなり始めたこともあって、年末の忘年会では社員のみなさんが明るかったのを覚えています。
——佐藤さんは2016年1月に就任してすぐファイナンスに動かれてましたよね?
佐藤:はい。KPIの改善が続いていましたし、初のIPコラボを経てしっかりと事業利益が確保できる状況に転じました。そこで、今までの経営陣や将来的なポテンシャルを主としたA-C種優先株とは違う、実績と将来の事業成長をベースとしたエクイティファイナンスを、CFOとして描けると考えました。具体的には『クラッシュフィーバー』の大型プロモーションを使途に、事業成長の両輪となる攻めのファイナンスに動くことを入社早々に決めましたね。
——この資金調達がかなり大変だったと聞きました。
佐藤:はい。資金調達の交渉上、時には大変な修羅場が不可避なのですが、その大事なタイミングで熊倉さんに助けていただいたエピソードがあります。協議中、既存株主、出資検討している投資家全員で一堂に集まろうとなりました。他社も一緒に投資しないとお互い決裁材料に困るのでその意向確認をしたいことが主旨なのだと察しましたが、多くの候補がDDを始めたばかりで当然会社の意向を言える状況にないため、場の流れ次第で話が消えるかもしれない。さて舵取りをどうしたものかと。その時に熊倉さんから電話が掛かってきて「MTG前に話しておきたいことがあります、グローバル・ブレインは真っ先に本ラウンドで投資する意向だと話をして援護射撃します」と。後で他候補とも、実は事前に会話されていたと聞きました。
——泣ける
佐藤:今でもよく覚えています。熊倉さんが会の冒頭でズバッと一閃。その言葉で場の流れは決まり、その後はどう皆で会社をサポートしようかと熱量持って話をしただけ。2016年は4月と6月の2回実施で新たに5社の株主を迎え、計5億円強を資金調達しました。
会社はその資金を元手に『クラッシュフィーバー』日本版でTVCMを2度実施し、繁体字版は新規リリース直後から大ヒット。売上高は創業から2015年8月期まで1億円未満でしたが、2016年8月期は18億円へと大幅増収し会社が大きく飛躍することができました。
熊倉さんは、初の経験で不慣れな私に対し、候補の投資家をご紹介いただいたり、協議の要所で大事な役割を担って、上手く導いていただいたことに大変感謝しています。この仕事をしていると、ベンチャーのCFOや管理部門担当への転職相談をされることがありますが、資金調達やIPOが近いか、またサポート役にどのような人が考えられるか、まず聞くようにしています。最初のファイナンス機会とその実現が自身にとってその後の分岐点として、非常に大きな意味があったと実感したためです。所管がコーポレート部門全般で財務に集中できなかったとしても、ファイナンス実績は客観的に見られてしまいますから。
熊倉:グローバル・ブレインは2016年4月と6月の2回、フォロー投資に参加しました。会社は創業して3期目まで本当に苦労してきたと思います。4期目に念願叶って『クラッシュフィーバー』の国内外でのヒットで会社が大きく成長しました。佐藤さんはその後の大型資金調達やIPOに向けて大きな自信を得られたと思いますので、本ラウンドの成功は会社にとって大きな分岐点だったのではないかと思っています。