持続可能な社会を作るスタートアップたち(4)ダイバーシティに対する国内の取り組み事例
強い組織作りにESG経営が必要であるということは疑いのない事実になりつつあります。
執筆: Universe編集部
スタートアップがESGに取り組むべきかーー。この問いに対するヒントのひとつは「組織作り」にあるかもしれません。
国内スタートアップ・エコシステムでESGを重視したファンド「MPower Partners Fund」は9月、ボストンコンサルティンググループと共同で実施した、興味深い調査結果を報告しています。国内スタートアップ50社に実施したアンケート結果として、9割以上がESGに対する取り組み効果を実感しており、その半数近くが人材の採用・定着に効果があると回答したそうなのです。
同ファンドはスタートアップがESGに取り組むべき理由をプレイブックとしてわかりやすく言語化しているのですが、その中でも明確に「スタートアップがESG実践で得られる8つの価値」として優れた人材の確保を挙げています。
経済産業省も多様な人材を活かし価値創造につなげる経営を「ダイバーシティ経営」として推進していますし、メルカリやラクスルといったここ10年で上場を果たした成長株もまた、ESGのフレームワークを組織づくりや採用の現場にうまく溶け込ませています。
このように、強い組織作りにESG経営が必要であるということは疑いのない事実になりつつあります。しかしその一方で多様な価値観を持つ人々に参加してもらい、共に持続可能な社会や経済活動を営むためにも、その枠組みと評価の仕組みは重要です。そこで本稿ではダイバーシティやインクルージョンを中心に、スタートアップが組織のためにどのような形でESGを活用できるか、その方法と実際を整理してみたいと思います。
ESGの「S(ソーシャル)」とは何か
メルカリは9月、多様な働き方を社員が選択できる制度「YOUR CHOICE」の活用状況を公開しました。この制度は働く場所や住む場所、働く時間を社員が自由に選択できる、というものです。例えば通勤手段として飛行機や新幹線などすべての公共交通機関が利用できたり、フルフレックスで日中に中抜けするような働き方も可能になっています。
公開された社員アンケートの結果によると、9割以上がリモート勤務を選択して半数近くの社員が住環境を変えたり、7割以上の方が中抜けを利用して保育園などの送迎に使ったりするなど、ワークとライフのバランスをそれぞれの裁量で保てており、満足度の高い様子が伺えます。
メルカリの組織に対する取り組みは介護休業時の給料を100%保証した人事制度「merci box」の制定に遡ります。2017年当時、まだスタートアップとしては珍しかった完全有給での介護休業制度を定めたことで大きな話題になりました。あれから数年経った今、彼らの人・組織に対する考え方は進化し、現在の採用ページにまとめられています。ミッションを支える行動規範となるバリュー、そしてそれを実現するための価値観としてファンデーションを定めています。先に挙げた自由な働き方を定めた「YOUR CHOICE」もこのコンセプトに沿ってできた制度です。
そしてこの採用ページにあって一際目立つのが「ダイバーシティ&インクルージョン」の文字です。
そもそもESGの「S(ソーシャル)」とは何を指すのでしょうか。M Power Partners Fundがやはり上手く言語化してくれているのでそちらをお借りすると、ソーシャルの枠組みで重要な要素はデータセキュリティとプライバシー、従業員の健康と安全、DEI(多様性、公平性、包括性)だそうです。
このESGのS(ソーシャル)に抱合されるD(E)&Iポリシーや働き方に関するアジェンダは組織づくりが必須命題となっている若いスタートアップだからこそ、取り組むべきテーマです。その実例をひとつ、10Xのケースでご紹介したいと思います。
多様な働き方を言語化する「10X」
2017年創業、80名ほどのメンバーが全国で働くスタートアップ、それが10X(テン・エックス)です。社会に非連続な成長を届けるという理念のもと、現在は小売業のデジタル化支援プラットフォーム「Stailer(ステイラー)」を提供しています。スーパーマーケットやドラッグストアなどの小売事業者がECを立ち上げるためのプラットフォームで、イトーヨーカドーやライフなどの事業者がネットスーパーのインフラとして導入をしています。
成長株の同社にあって、その組織を支えているのが多様な働き方に対する取り組みです。彼らもまた、働き方に関するガイドラインとして昨年の6月に人事制度「10X Benefits」を制定し、男性育休を積極推進するなど、中長期に渡って働きやすい環境づくりを言語化しました。また、今年1月からは勤務地をオフィス、リモートから自由に選択できる制度「10X Workstyle」も開始し、現在も多くの社員の方がライフスタイルに合わせて仕事環境を選択しているそうです。
そして積極的に働く環境を言語化している10Xだからこそ、やはりダイバーシティやインクルージョンに対する取り組みも明確にしていました。それが「10X DIVERSITY & INCLUSION POLICY」で、人事制度より2カ月早く公表しています。ただ、そこには反省点もあったようで、公表から1年半が経過した今、取締役としてコミュニケーション領域の責任者を務めるCCOの中澤理香さんに立ち上げの効果や課題をお聞きしました。
ダイバーシティへの取り組みで得たもの
同社がダイバーシティや働き方への取り組みを考え始めたのは2021年初頭の頃。東京オリンピックを発端としたジェンダー論争が巻き起こったことで、10Xの代表取締役、矢本真丈さんから「自社としてダイバーシティやインクルージョンをどう位置づければよいのだろうか」という投げかけがあったそうです。
元々、矢本さんたち10Xは献立を作るアプリ「タベリー」を提供していたり、矢本さん自身が子育てに参加していたこともあって、多様性のある人たちとの向き合いを考える機会が多かったという背景もありました。
その一方、何から手をつけて良いか分からなかった中、中澤さんが参加したことでこの話は前に進むことになります。「まだ組織が小さい内から考えておくことが重要で、数字の目標などは一旦置いておいて、まずはダイバーシティをどう考えるかちゃんとみんなで共通認識を持つべきではと提案したんです。そしたらそれに同意なので考えて欲しい、と」(中澤さん)
中澤さんはそこからリサーチを始め、経済産業省などのガイドラインを参考にしつつ、自社のミッションや事業との関連性を重要視したポリシーを策定し、識者へのヒアリングなどを経て現在の内容を作成したそうです。
ではその効果はどのようなものだったのでしょうか。
「社内では、発表前後でめちゃくちゃ何かが変わったかというとそうじゃないんですよね。これができる前からみんなダイバーシティへの意識は結構高かったかなと思っています。もちろん、多様性を毀損しようとするような人はいなかったし、むしろ男性でも育休をいっぱい取っていたので、プライベートも大事にできる働きやすい環境だったと思っています。
ただ、それまでの課題はこういったことが全然外に伝わってないっていうのがあって。改めて文章化して外に発信することで、自分たちとしては昔から思っていたことだったとしても、外の人から見た時に『そんなこと考えてるんだ』っていうのが伝わればそれでいいなと思ったんです」(中澤さん)
結果はゆるやかな形で中澤さんたちの前にあらわれます。
例えば採用面接や入社後の理由に、一番ではないにせよ、安心材料のひとつとしてこういった働き方やダイバーシティ、インクルージョンを理由に挙げてくれる人が増えたそうです。
一方、課題もあります。
特に分かりやすい「女性比率」もそのひとつです。策定した1年半前、10Xの女性比率は1.5割程度だったそうなのですが、現在も2割強とそこまで大きく変動していません。これには理由があり、具体的な目標を立てなかったことが要因としてあるそうです。
立ち上げ当時、多様性のある人々に対するポリシーを策定したとしても、具体的な採用に対してどのように数値化するかという議論は困難を伴ったそうで、結果、アクション不足につながり、目に見える女性比率の変化とまではいきませんでした。
そこで中澤さんたちチームは2年後に女性比率30%という目標を新たに立てるそうで、これが具体的にどのような形で表現されていくのか、そのあたりも今後の注目点になりそうです。