未来を創るCVC——協業が強いIPOを生む

異なる分野を拡大させることで事業成長を促す——このDNAが彼らのオープンイノベーションの礎になっているからこそ、KDDI∞Laboはどこかのコピーではない、独自の進化を遂げることになる。

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KDDI∞Labo一期生のギフティは2019年にマザーズ上場を果たした。

オープンイノベーションのDNA

主力事業である通信とは異なる周辺の「非通信」事業でいかに未来を描くか。そのために自社だけでなく、積極的な協業の戦略を打ったのが2000年代のKDDIだった。Googleとは検索で手を組み、グリー、コロプラとはエンターテインメント領域でサービスを展開した。2012年にレコチョクと共同で開発した音楽サービス「LISMO」は、モバイルストリーミング音楽サービスの先駆け的存在となった。

異なる分野を拡大させることで事業成長を促す——このDNAが彼らのオープンイノベーションの礎になっているからこそ、KDDI∞Laboはどこかのコピーではない、独自の進化を遂げることになる。すなわち、協業の可能性のある新興企業に出資して株式公開を支援するプログラム、本体で大きくシェアを取ってグループ化するプラン、そして多くの可能性を引き寄せるオープンな場所を作り出す、という「三段重ねの舞台装置」がそれだ。

遅れてやってきたKDDI Open Innovation Fund

「KDDI Open Innovation Fund(通称:KOIF)の組成は2012年ですね。評価額1億円のスタートアップに1000万円出資するため、年間で数千億円の利益を出す企業の役員たちがずらりと並んで、本格的なデューデリジェンスしてました。現場はすごい緊張感でしたよ(笑」。

当時をそう振り返るのはファンド組成を裏方として支えたグローバル・ブレインの熊倉次郎氏。現在もKOIFの中心的な存在としてチームを支え、現在は3号ファンドで総額300億円(※)の運用をするまでに成長している。また、地域創生をテーマとした30億円の「KDDI Regional Initiatives Fund 1号」も派生的に新設されている。

KOIFが最初に立ち上がったのは2012年2月、KDDI∞Laboが開始された2011年8月から約半年遅れのスタートだった。グローバル・ブレインがKDDIと共同で企画したファンドで、記念すべき第一号出資案件はKDDI∞Laboの一期生ギフティだった(※正確にはタイミングが合わず、一時的にKDDI本体からの出資を後に株式交換している)。

シード期のインキュベーションに出資を一体化し、3カ月という極めて短期の期間にスタートアップさせるスタイルは当時のモデルケースとして多くのコピーが生まれた。この手法の開祖と言われるTechStarsやY Combinator、500Startupsなどはプログラムに採択されたスタートアップに対し、10%前後の株式を取得(※)する代わりに日本円で数百万円を出資、シリーズAに繋がる初期プロダクトの開発を支援したのだ。

※コンパーチブルノートなどの転換社債系の方式が中心

ところがKDDIはやや違っていた。なんと、アクセラレーションプログラムに採択されても出資はしない、としたのだ。実際、ギフティのように出資した例は一部で、KDDI∞Laboのアクセラレーションプログラムに採択されながら出資にまで至るケースは多くなかった。

ではなぜファンドを作ったのか。ここに彼らのオープンイノベーション・プログラムの妙味というか、大企業ならではの理由が隠されている。

2つの取り組みに求められた「成果」

「NEUTRANS BIZ」実物大の仮想空間でのミーティングを可能にする
KDDI∞Labo第6期デモデイの発表会。

協業を軸とした成長戦略を考えるにあたり、KDDI∞LaboとOpen Innovation Fundにはそれぞれ目的が設定されていた。2012年からKDDI∞Laboの責任者「ラボ長」として、プログラムの立ち上げを支えた江幡智広氏(現・mediba代表取締役)はこう振り返る。

「いわゆる目標設定をするわけなんですが、ほぼ毎年、同じように書いていたのが『ベンチャーから一番信頼される相談相手になる』という項目です。一方、ファンドはもう少しミッションが具体的で、『次世代のベンチャーと一緒に新しい事業創造する』と『ベンチャーとの関わりを通じて彼らの事業を加速成長させる』というものでした」。

オープンイノベーションを企業が掲げる場合、各社が最初に遭遇する課題が「窓口問題」だ。新規事業部や経営企画室など、経営戦略に近い部署が担当するにしても、そういった部門そのものは幅広く広報することに慣れていない。ましてやマーケティングして集めるわけにもいかないから、さてどうするとなる。

つまり「KDDI∞Labo」というプログラムはそれ自体がこの最初の課題をクリアするための答えでもあったのだ。当然ながら窓口の扉は叩きやすいことに越したことはない。江幡氏がラボ長のバトンを次に渡す最後の年、経済産業省が主催する調査ランキング「イノベーティブ大企業ランキング」でKDDIはトップを取ることになる。

実際、ランキングで続くトヨタ自動車やソフトバンクなどと異なり、KDDI∞Laboは毎年定期的に1000人規模が参加するDemoDayを開催した。イベントで発表される内容もさることながら、ネットワーキングの現場で担当者たちの「顔」が見えたことは大きい。

一方、ファンドは「リターン」という唯一無二の結果が伴う。目標にあるベンチャーの成長を加速させる、という意味は「買った株価が上がること」に他ならない。窓口としてのKDDI∞Labo、結果としてのKOIF。一見すると補完性のあるこの2つの取り組みは、なぜ一体化されなかったのか。そこにはある、大企業ならではのコンフリクトが存在していた。 幅広い可能性とリターンという矛盾

当時、彼らがモデルにしたY Combinatorのスタイルは、おおよそ3カ月のプログラムで日本円にして数百万円を出資し、市場に受け入れられるかどうかギリギリのラインのプロダクトを世に問う、というスタイルだった。YCモデルをルポ形式で伝えたランダル・ストルス氏の著書「Y Combinator」の中には若き起業家たちが新たな価値・体験を社会に問おうとする奮闘ぶりが描かれている。

午前中にシムズがハッカーニュースにお知らせを掲載した。「ShowHN:‥Codecademy.com.どこよりも簡単にコーディングを学べます」。そのあとブビンスキーと昼食のベーグルを買いに出かけた。車の中でふたりは、同時ユーザー数50人なら大成功だろうと話していた。シムズのスマートフォンには、ユーザー数を表示するアプリが入っている。道中ふたりは、数字が目標に近づくところを笑顔で見守っていた。同時ユーザー30、40、50を超えた。店の行列に並びながら、再度スマートフォンをチェックすると数字は数百になっていた。このニュースはたちまちツイッター中に広がり、一瞬のうちに何百回もリツイートされた。たくさんの「いいね!」やお薦めツイートのおかげでハッカーニュースのフロントページにも掲載された。その結果さらに多くの注目を集め、さらに多くの訪問者を呼び込むことになった。自分たちのサイトが過負荷でダウンするかもしれないことに気づいたふたりは、一目散に家へ向かった。(ランダル・ストロス. Yコンビネーターより引用)

Y Combinatorは多産多死の戦略で正解だった。決済のStripe、バケーションレンタルのAirbnb、オンデマンドデリバリのDoorDash。彼らが掲げるトップ100社の合計価値は1550億ドル、5万人以上の雇用を生み出した(※2019年時点)。しかしこれは逆に言えば「不確実性の塊」とも言える。彼らは毎年2回のバッチを回し、それぞれに数十から最近では100社近くが参加しているのだ。つまり、多くはそこから脱落する。

明日潰れるかもしれないし数年後大きく羽ばたくかもしれない。KDDI∞Laboで集めていた若き起業家たちもご多分にもれずそういった顔ぶれだった。当然だが、ここにファンドとしてのKOIFに求められる「リターン」とは完全には一致しない。

つまり、KDDI∞Labo採択にあたって出資を前提としてしまうと破綻してしまうのだ。KDDIのエコシステムはこの矛盾をどうクリアしたのか。次回につづく。

筆者: 平野 武士

ブロガー。TechCrunch Japan、CNET JAPANなどでテクノロジー系スタートアップの取材を続け、2010年にスタートアップ・デイティング(現・BRIDGE)を共同創業し、2018年4月に株式会社PR TIMESに事業譲渡。現在はBRIDGEにてシニアエディターとして取材・執筆を続ける傍ら、編集からPRを支援するOUTLINE(株)代表取締役も務める。